インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

美しい国ウクライナ 首都キエフの現状 〜インタビュー編〜

1, バスで出会ったロシア人、ニキタ 22歳 (イケメン)

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質問: クリミア問題はどのようにロシアで報道されているのか。
 
ロシアがクリミアを救うという形で報道されている。基本的に、ロシアのテレビでは主観的な報道ばかりなされる。ロシアよりの報道ばかり。だから若い人たちはあまりテレビを観ない。インターネットから情報を得る。だけど、それができない大人はテレビの情報をそのまま受け取ってしまう。
 
 
 
質問: プーチン大統領についてどんな風に思っている。また、国内世論はどうなのか。
 
プーチンは国内外に強い政治力を持っていて、国内では人気である。今回のことを抜かせば、自分も好意的であった。プーチンは「ロシア人」を守ろうという姿勢をみせるし、そういう風によく映る。
 
 
 
質問: 今回の問題に対する意見も含めて、国内では言論の自由はあるのか。
 
特に制限があるわけではない。中国とは違って、ネットでの言論統制、アクセス制限なんてのは存在しない。自由に発言はできる。ただ、ゲイやレズビアンへの肯定的な意見は控えられることがある。
 
 
質問: ロシア人が好意的にみている国はどこなのか。
 
ベラルーシとは仲が良い。他にはカザフスタンウズベキスタンアフガニスタンセルビアかな。旧ソ連で、反USの国々が多いと思う。ただUSに関しても、文化となればはなしは別だよ。
 
 
 
他にも、ウクライナ人の有名歌手がいまロシアでコンサートが開けないという話もあった。
留学先が同じのロシア人は、我が家にテレビはないとも言っていた。
ちなみに国民テレビは、First Chanel (perviy kanal)というらしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2, ニキタの友達のウクライナ人、オレグ (キエフ在住)
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質問: キエフでのデモはどこを中心に起こったのか。
 
独立広場。その前の通りいったいはバリケードが張られて激しかった。
 
 
質問: デモはどうして起こったのか。
 
ヤヌコビッチ元大統領がEUとの貿易協定を破棄したから。初めはそのことに対して11月頃から小規模なデモが発生していた。
 
 
質問: そのデモには参加したの。
 
デモが激化したのは、政府側が武力行使をしてから。その大きくなったデモは2月頃でそれに参加した。ほとんどのキエフ市民が参加したと思う。最初の方のデモの理由とは違っていて、武力行使をする政府に対して自分たちの自由を守るためだった。テレビにもでるようなガードとかもつけていたよ。
 
 
質問: まだまだ問題は起きているけど、今後はどうしたいの。
 
EUにはまだ入れない。まずはこの政権で安定したい。そこが一番。
 
 
 
ニキタの他の、キエフ在住の友達も、(当時留学していたけど)もしキエフにいたら自分ももちろんデモに参加していた、と言っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3,同じホステルに泊まっていたウクライナ人、サナ  (クリミア出身でクリミアンタタール人)
 
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質問: クリミアは現在、ロシアに属していると言えるのか。どんな状況か。
 
ウクライナのものとロシアのもの、通貨は二つあるし、法律も二つ存在している。通貨はその都度両替されていて、法律に関してはどちらにつくか困っている。こうしてキエフにいるうちにも刻々と事態は変わっていると思う。
 
 
質問: クリミアにどうになってほしいか。
 
難しい問題。(どうなるかわからない。難しい。という感想を繰り返す。)クリミアンタタール人として、ロシアの下には入れない。ただ、クリミアに住む人はロシア人も多く、ロシアに組み込まれるのをよしとする人も多い。本当にどうなるかわからない。
 
 
 
 
彼らとの話は、日本の文化とか学校制度とか、いろんなところに話が飛んで行ってあまり詳しくは聞けなかった。クリミアンタタール人は1944年(と言っていた)にロシア人にクリミア半島から追い出されているが、今回のことも、まずそこから話したがっていた。
 
サナの他にも、二人のクリミアンタタール人と一人のロシア人の友達と5人で話していたが、中には外国人とちゃんと喋ったのは初めてというやつもいた。ロシア人なのにプーチンが嫌いでこのままキエフに残る奴もいれば、クリミアがロシアに入ることを望むやつもいた。
 
交換留学制度というのがメジャーではないらしく、うらやましがっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4, おわりに
 
聞きたいことはだいたい聞けた。この出会いを求めていたからか、次から次へと自分のために語ってくれる人たちが現れたのには驚いた。みんながみんな、教える教える!!と言って感じで応じてくれた。
内容としては、あらかじめ読んでいたたくさんの記事と同じところが多かった。ネットで手に入るそれらの記事の正確さはすごいな。どんな風にまいどまいど誰かしらは調査をしているのだろうと気になった。
デモに参加した理由を聞いたときに、自由を守るためと答えられたときは、まじか。と思ったのをよく覚えている。まさかそんなセリフをこの時代で聞くことになるとは思わなかった。自分がその場にいたら迷わずにデモに参加するという言葉にも重みを感じた。
 
自分たちにもそんなことを言うようなことが起こるのか。その時に、何が起こっているのか正しく理解することができるのか。ちょっと心配になった。
 
 
 
 
同年代のやつらは
国の指導者のために悩み、自由を守るために立ち上り、大国の都合で生活が変えられていた。