インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

『ニッポンの海外旅行』

04月05日読了の本は

『ニッポンの海外旅行』  山口誠

 

 

ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)

ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)

 

 

 

日本人の海外渡航を取り巻く環境の変化をかなーり前のことから書いてある。

 

ゼミの課題図書だったらしいのでちゃんと読んでおこうと思って

日本から持ってきてもらった本。

 

 

初めの方は戦前よりも前のはなしであまりおもしろくなかった。

 

旅行という概念自体の出現のはなしや、

近年、1960年代からの変化は身近で興味深く読めた。

 

特に60年代に出版された『なんでもみてやろう』という本は

その時代の旅行の仕方を表すものとしてとくに取り上げられていたが、

この本はまさに、ゼミの先生が留学に行く際に薦めてくれた本だったので

この部分の趣旨はよくわかった。

 

 

いちばんおもしろいと思ったのは、

ケルトンツアーが主流のいまの旅行は

基本的には50年前からなんら形が変わってきていないということが

わかったことだった。

 

また、

どこでいくらお金を使うかが旅行の主題であり、消費こそが海外旅行であるかのように。 (p218)

といった主流があり、

これはインターネットの普及による旅行の個人化も

LCCの発達による移動の手軽さでさえも

変えることができなかったばかりか

それを助長していたのかもしれない。

と書いてありこれまた確かになって感じだった。

 

 

自分はどちらかというと「まだそれでも残っているバックパッカー世代」の

ひとりだと思ったが、全体の流れからみたらこういう雰囲気なのかということは

とても勉強になった。

 

 

また、これは2010年の出版であり、

4年後のいまの流れを続編として自分で考えてみるのもおもしろい気がする。

 

 

 

HISが積極的に販売するスケルトンツアーには、ある傾向が見えてくる。ツアーの行き先が香港・ソウル・バンコク・台湾・など「東アジアの都市」と、グアム・プーケット・バリ・セブ・ハワイなど「ビーチ・リゾート」の、二つの旅行方面ばかりで構成されているのだ。 (p202)

 

そうしてソウルやグアムにはどんな名所旧跡があるのか知らぬまま出発し、ひたすら買って食べる消費行動に明け暮れ、現地の歴史や文化に出会わないまま帰国した数日間を、海外旅行と呼ぶ。 (p205)

 

どこへ行っても同じような「買い・食い」体験をする、定番化した「歩かない」個人旅行は、どこでも同じことを繰り返す海外旅行でもあり、一〜二回行けば飽きてしまう。そして旅先の違いがより意識される海外旅行では、そもそもなぜソウルに行くのか、という動機の設定が希薄なため、(中略)あるいは海外旅行そのものから離れていくようになる。

 

 

ここに潜む変革のチャンスとここからの変化について

すこし考えてみようとおもった。

 

 

 

 

 

 

 

やばいこんなに書くと次が続かない