インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

『絶望の国の幸福な若者たち』

若者は「内向き」なのか?「嫌消費」なのか?「海外離れ」なのか?

の考察を続けながら、そこに若者の「幸福」をみる

 

内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年の時点で20代男子の65.9%、20代女子の75.2%が現在の生活に「満足」していると答えている。こんなに格差社会だ、若者は不幸だと言われながらも、今の20代の約7割は生活に満足しているのだ。」

 

「また生活満足度や幸福度を年代別に見てみると、40代から50代の「中年」のほうが数値(54%)が低いことがわかる。「若者は不幸だ」と心配している自分たちのほうが、よっぽど幸せじゃなかったのである。」

 

「まるでムラに住む人のように、「仲間」」がいる「小さな世界」で日常を送る若者たち。これこそが、現代に生きる若者たちが幸せな理由の本質である。

 社会学では「相対的剥奪」と言うのだけど、人は自分の所属している集団を基準に幸せを考えることが多い。」

 

 

 

生まれてからずっと地方に住んでいるから、

個人的に、「それでいいのか、おまえの生活..」とおもうことが多々ある。

(そして客観的にみたらおれのもそうだ。)

なんとなく客観的なおもしろみに欠けていて、それでも本人たちは十分満足そうなそんな日々に

違和感と疑問を感じながらも、まあ幸せそうだし。と、してきた。(自分も含めて)

ただ、なぜ「幸せそうなのか」「本当にそれでいいとおもっているのか」

という問いは相変わらずグルグル廻っていた。

そんな疑問にスッと、たくさんの引用を使いながら解説してくれるのが本書だ。

 

 

 

 

 

 

社会学は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズムを解明するための学問である。」(wikipedia社会学』)

ときにそれは、「常識」を覆すことを目的として学問されることもあるし、

結果としてそのような力を持つ時もある。

そして本書は、まさしくその方法としての社会学も提示してくれている。とおもう。

 

「中年」とか「おとな」がいう「若者」の実態を、

データや言説をもとにしてズバズバと切り裂いていく様は読んでいてとても痛快。

 

いかに世の中の「常識」とか「世論」とかが信じるに値しないものなのか

ということを証明している。

 

 

 

まあ、それも含めて本書自体もめちゃくちゃ色濃く筆者の古市さんの主観が

反映されているわけだけど。

 

たとえば、「「日本」がなくなる」という主張では、

「「日本」がなくなっても、かつて「日本」だった国に生きる人々が幸せなのだとしたら、何が問題なのだろう。国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも、大切なのは1人がいかに生きられるか、ということのはずである。」

もちろん、積極的に「日本が終わる」ことを肯定しているわけではないにしろ、

たとえば経済的に日本がオワッタとしてもそれはそんなに騒ぎ立てるほどのことではない、としている。

 

 

いかにも、「中年」が聞いたら「なにを弱気なことを。」とおこりそうな論議だが、

多少の反発は覚えるにしろ、実際にはこうなるような気がしてならない。

 

そこまで、

「「今、ここ」にある「小さな世界」の中に生きているならば、いくら世の中で貧困が問題になろうと、世代間格差が深刻な問題であろうと、影響を及ぼされない若者」が増えているということだ。

 

そして、これは決して悪いことではないんだろう。

 

 

 

 

 

 

本書は他にも、戦前からの「若者論」やナショナリズムについても書いている。

また世代論の難しさ(「たとえばローリーズファームなんて一応メインターゲットは20代から30代のはずだが、50代の女性が来ている姿をよく見かける。」)についても語っているため、

現在、卒論の題材を世代論にしている友人にぜひ薦めたい。

とても苦しんでいるから。

 

 

 

 

 

 

 

さいごに、本書は、文章中でわざわざ「研究者というのは、議論に自信が持てない箇所こそ、曖昧に難解に書いたりする」と言っているくらいなので、中身はとても読みやすくてわかりやすい。

ここまで長々と書くほど、オススメだ。

 

 

 

 

 

「もはや自分がこれ以上は幸せになると思えない時、人は「今の生活が幸せだ」と答えるしかない。」

 

「つまり、人は将来に「希望」をなくした時、「幸せ」になることができるのだ。」

 

 

 

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち