インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

満足について

やっとiPadの方をiOS7にアップデートできました。

なんか新鮮で、動き方とか操作性もなんとなく進化を遂げたような感じでかっこいい(^-^)!!

iPhoneの方は相変わらずストレージマネジメントがうまくいかないのでお預けです。

いやー、写真消しまくった。笑

 

iPadをこれから買う人は一番容量がでかいやつ(64?)を買うことをオススメします!!!!

 

 

 

さて、前回の記事の中で満足という言葉を使ったので

それについて少し書きたいなと思います。

 

 

満足二つのベクトルから図られると思っています。

一つは自分が主体の満足、いわゆる自己満

もう一つは他人が主体の満足、承認欲求

 

半々くらいなのかな。

 

 

お腹いっぱい食べて幸せになるけど、

その幸せを分かち合う、もしくは認めてもらえたら

さらに満足するんじゃないかとか

 

周りから「すごいね~」と言われてるけど

満足しないアスリートとか

 

 

両方、うまいくらいに満たされないと「満足だあ〜」とは言いにくいのではないかと思っているわけです。

 

 

 

 

自分がなぜ、2013年の最後に不満足感を抱いていたのかな

と考えたら、自分がこの両方においてsosoな状態にあったことに気付いたのです。

 

自分としては、必ずしもハナマルな成長を遂げられなかったのはもちろん、

周りから認められるような、言い方を変えるなら周りの期待に応えるような、あるいは期待させるような

そういうベクトルでも十分とは言い難い状態だったのだと分かりました。

 

 

 

もちろんこの矢印の長さとか向きとかは人それぞれで、

その違いによって人の満たされ方は変わってくるのだろうけど、

少なくとも自分の中の矢印は、長さも足りず、方向も若干ずれていたように感じました。

 

 

 

だけどまた、こうに整理ができたことはとりあえずよかったなって感じで、

おかげさまで必要なものがちょっと見えてきて

それが次のところに繋がってるっていう感触が得られたっていう、前回の繰り返しの話でした。笑

 

 

 

 

一度、自分の満足度を振り返ってみるのもいいかもね。

 

どうダメだったのかということについてはまた後日♪