インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

もう5日

 

昨日は母校の同窓会があった。

いま、ドイツに留学中の自分は出ることができなかったので、skypeさんを使って、映像のやり取りをしてもらった。

 

みんなめちゃくちゃ楽しそうだったじゃないか!!!!!!!

 

実は、二年前の高校卒業後の謝恩会から、二年後の昨日を楽しみにしていたおれ。二年間で思い切り変わってやって、斉藤和義の『ずっと好きだった』を歌うことを夢見ていたおれ。同窓会にでないやつなどありえないと思っていたおれ。

が、まさか二年後にそんなおバカになっているとは人生わからない。

 

 

出れないのは残念だけど一過性のものだし耐えられるだろうとタカをくくっていたが、昨日今日と、後悔と残念さに身悶えする苦しさを味わっています。

 

 

 

中学高校のも小学校のも、出たかったな~。カナシイ

 

 

 

 

さて、前回の続き。

去年の自分は自分のなににそんなに不満だったのか突如として分かり始めた。もしくは前々から気付いてはいたけど状況が認めざるを得なくなったのか。

 

向上心と思いやりが決定的に欠けていたんじゃないキミ。ってことに

 

 

 

なにか新しいことに挑戦するのには勇気がいる。

だけど、それも慣れてしまえばだいたい簡単に越えられる。

もちろんそれはいいことなんだけど、

いつの間にか、

なにか新しいことをする

どこか新しい場所へ行く

だれか新しい人と出会う

ってのができたらそれでいい

 

 

みたいな感覚が自分の中に巣食ってたんだと思う。

 

これは全部の自分の生活に当てはまっちゃってた。

 

 

 

例えば、旅

これを始めたのも去年で、初めは「とにかく自分の目で見たい」って思いだった。

それでよかったし、本とかで「テーマのある独自の旅を!」みたいなのを見ると

「なぜ?わざわざ旅に出てまで自分を縛り付けるのか。ただ見てみたい、ってだけでいいはずだ」なんてずっと思ってた。

 

とにかく新しい場所!見たことのない景色!!

って追い求めて、さっきも言った通り、それは慣れてしまえばそんなに難しいことじゃなくて、それでも自分はそれをやっていればいいと思ってた。

 

 

他のこともそうで、なにか新しい経験を求めて終わり。

 

 

そこには向上心もなければ、物事に対する、またはお世話になっている人に対する思いやりもなかった。見栄えのいい自己満足だ

 

 

 

 

自分の中で、手当たり次第にやってみて満足する時代は終わりを迎えていたんだなあ

 

ってのを認めたくなくていまやっと、しみじみと感じることができている。

 

 

その理由はやっぱり、伸ばすよりは上げる方が難しくて、世界を広げるよりは、世界を深める方が時間がかかるしつまらないかもしれないからなんだろうな。

 

 

 

 

と、いうことでこれが去年の暮れあたりのゴーストの正体。

長々とした反省文はここで終わりにしたいと思います。笑

 

 

 

したがって

今年の基本姿勢は、『自分のスキルのブラッシュアップ』でいきます。

そして今年の標語は、『人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい』です。(愛とかの深い意味じゃなくて、単に言葉そのままの意味で、自分がして欲しいからするだけだよって感じで。笑)

目標の方は、内緒にしとくことにします。

 

 

 

以上。

これから渡英の準備。この前買ったキャリーバックを下ろせるから楽しみ♪

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コイツの名前を、ぱみゅぱみゅにするかきゃりーちゃんにするかで迷ってるところ。