インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

ドヴォルザークの「新世界より」

ドヴォルザーク交響曲第9番、ホ短調の「新世界より」の第二楽章を聞きながらカルボナーラを作った話

 

 

毎日、あさ6時半に起きて7時に家を出て

一時間半かけて出社する。

帰りは接続の問題で2時間くらいかかって帰宅するような生活。

 

ドイツの新幹線ICEは、区間が長くなればなるほど

平気な顔して毎度のことのように

大概毎日遅延なさる。

 

職場でまあ常識の範囲で気を遣い

行き帰りのICEの物覚えの悪さにイライラするので

帰ってきた頃にはクタクタ。

 

 

帰ってきたら寝るだけってくらい時間はないのだけれど

今日はなんだか『がんばってカルボナーラを作ってみよう』

という気持ちが湧いてきたのでその通りに行動してみた。

 

毎日、常にひとと同じ空間にいることには

とてもとてもとても耐えられないので部屋でクラシックな音楽をかけるのは

自分を癒す手っ取り早い方法。

 

 

だから、ちゃんと伝えておきたいのは、

今日はたまたまドヴォルザークの「新世界より」とカルボナーラが一緒になってしまったけど

もともと、『カルボナーラを作りながらドヴォルザークの「新世界より」を聞きたい』と思っていたわけでもなければ、

ドヴォルザークの「新世界より」を聞きながらカルボナーラを作りたい』と考えていたわけではないのです。

 

 

 

 

これだけわかってもらえたらきょう伝えたいことはあとひとつだけ

 

 

 

 

カルボナーラがすごく、とても、すべての強調の副詞とともにまずかったです。

 

なんだか茹でた麺をそのまま食べているような感じかと思えば

味のついてない卵を食べているようにも感じたし、

なによりたくさんの麺を茹でてしまったから

途中からはもうマヨネーズを投入して食べるしかなくなって

結局自分がなにを口にいれているのかわからくなってしまった。

 

 

それでも残すのはもったいないし捨てるのもめんどうだしということで

ちゃんとぜんぶ食べたら、

そしたら待ってましたと言わんばかりに今度はお腹が痛くなってきて

しばらくあとにはこれまたちゃんと、お腹を下しました。

 

料理って難しいなと思ったし

もう二度とカルボナーラは作りたくないと思ったし

料理のできる女の子ってすごいなって思った。もちろん男の子もだけど、

女の子ってなんとなく料理ができて当たり前みたいなのあるけど

その当たり前ってほんとうはすごく大変なことなんだなと思ったということです。

 

 

 

おれが頑張って食べている間も

お腹を下している間も

そしてひと段落してこうやってパソコンに向かっている間も

ずっとドヴォルザークの「新世界より」は流れています。

 

 

 

実は良いスピーカーが机の上にあるのですが、

そこから聞いたことがあるようなないような音楽が絶え間なく流れていました。

 

それはまだ第四楽章でした。

 

 

第なに楽章まで続くのかは知らないけど、これでドヴォルザークの「新世界より」が

とても長い楽曲なのだということを理解してもらうのに

少しでも役に立てたと思います。

 

 

 

 

では