美しい国ウクライナ 首都キエフの現状 〜旅編 3〜
旅情報
ロシア人女性が綺麗というまことしやかな情報と合わせると、
どうやら北の方には美人が多いらしい。
・バスストップからホステル
・ホステルから空港
はタクシーを使ったが、両方とも3ユーロ程度ですんだ。
2月の激しさとは打って変わっていまは平穏な空気が流れている。
着いた初日はそんな風に感じた。
しかし独立広場を中心としたメイン通りでは、
いまだにバリケードが残っており、
野営をしている人たちも多くいた。
実際にこの光景を目にしたときは素直にビックリした。
バリケードによって、通れなくなっている通路があった。
ある人たちは軍服のようなものをきて野営を続けている。
炊き出しがあちらこちらで行われている。
どういう類の人たちで、どんな目的なのかは理解できなかった。残念
集会デモは毎晩行われているようだ。
キエフの中心、独立広場も
こんな風になってしまっていた。
『20,02,2014』という文字と顔写真をみると
途端に二月にこの地で起こったデモの激しさが現実として認識された。
そこに書かれた誕生日は1993年というのもあった。
はっきり言ってそれまでは見物に過ぎなかった見方も
ちゃんと悲劇の再体験として捉えなおさざるを得なくなった。
伝えなきゃと思った。
これはデモの後に書かれた壁画らしい。
自分たちがウクライナを離れる日には、
キエフで大統領候補二人が襲撃されている。
ロシアは軍隊を構え、
ウクライナ軍は撤去に動いた。
まだまだ不安定な状態は続くから
それを どこか遠くの国の出来事 ではなく
きちんと見守っていきたい。
お世話になった人たちや
出会った人たちがウクライナ人でよかったと思って
幸せになってくれればいい。
もうひとつ最後に思ったことを。
自分も含め、デモ跡地や慰霊写真をパシャパシャとiPhoneで写真を撮る人たちがいた。
もし日本で戦争が起こってしまって、
その二週間後にはどこかからか人が来て
インスタグラムやFacebookに投稿していたらどんな気持ちになるんだろう。
ある意味では無慈悲さが目にみえる時代になったのかもしれないと思った。
それだけ。
とにかく行ってよかった。美しい国だった。