インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

脳内会議 ~ボランティアについて~

 

 

今度は、宿題もやってなくて旅行の準備もやってない中、無性に書きたくなってるんです。

 

さっきプールから帰ってくる時にツーとぼんやり考えことをしていたことについてメモ程度に残しておきたくて。どうせ明日になったら忘れているだろうから。

 

 

思考の調子がいい時は、なにか一つのことをきっかけに、芋づる式にどんどん奥へと考えが入っていくんですよね。

 

今回は、地震があったんかあ。というところから始まって、

震災、復興、ボランティアといったところでひっかかって、

そういえばなんでボランティアって良くも悪くも、あんなに注目されるんだ。

 

という疑問に至ったわけです。

 

 

 

 

ボランティアといえば、高校や大学、さらにはやったことないからわからないけどたぶん就活、

に影響を与えることもある。

だから、ボランティアをしなさいと言われることもある。

 

あとは、ボランティアなんて自己満だ、と言われることもある。

 

あとは、ボランティアはいい経験になるとももちろん言われる。

 

まあいろいろある。

 

 

記憶に新しいのは、

ボクのおとうさんは、ボランティアというやつに殺されました。 | JIBURi.com

 

というのもあった。

 

この記事の本当の意味するところは、物事の多面性を見ることの大切さ だと思っているし

必ずしもボランティアについて言っているわけではないと思うけど、

こういう感じの主張では顕著なものでもあった。

 

 

 

 

 

こんな中で、なぜこうも中高大、そして大人になってまで話題として取り上げられるのか疑問に思った。

 

だってなにしろ、知っての通りボランティア volunteer の意味は有志とかだし、

形容詞 voluntaryは自主的な だし、当たり前だけどそういう類の行動なわけだし。

 

 

やりたいからやっている人がやっていることをとやかく言う権利は、

やられた人、つまり当事者以外には基本的にはないはずであるし、

まあそれを評価するのはいいとしても雰囲気でも強制するのは

大いに間違っていることだと思う。

 

 

 

 

例えば、サッカー部に入った人はサッカーがやりたくて入った。

でもサッカーってやっぱり人気なスポーツで、

サッカー部の部員がサッカー以外のところでサッカー部ということでちやほやされたりすることもある。

 

でも、これがボランティアの人とかだったらきっとまた、なにかグチグチと言われるに違いない。

 

 

 

 

 

人助け、という風に見てしまうと、なにかややこしくなるけど、

とにかくやりたいことをただやっているだけの人たちに対して、

求められてもいないのに、外野からとやかく言うのはやめた方がいんじゃない。

 

できればそれを、評価の基準にするのもよしたほうがいいと思う。

 

ほっとけよ。って。

 

 

 

それで今回の

なんでボランティアってこんなに話題にされるの?

つまり、自主的にやっていることがなぜ、良い悪いの判断を下されなきゃいけないのか。

 

の結論としては、

どうしても、そのボランティアとしての行いはおれたちが評価してやるよ。

 

というなぜか、ボランティアをする人たちより上の段から部外者が評価をしようとする、姿勢にあるということになりました。

 

 

 

同じ目線に立とうともしないおせっかいな姿勢には気を付けようと思いました。

 

 

 

 

おわり。