インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

『女のいない男たち』

 

 

 

8月4日、読了。

 

女のいない男たち

 

 

『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』以来の村上作品。

ことしの春に出版されたと知り、帰国してから手に取ることを楽しみにしていたもののひとつ。

 

 

前作の『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』がそれほどじぶんのなかでハマらなかったので期待していた。

 

今回は短編集だから、いちにち寝る前にひとつずつのペースで読んだ。

 

 

 

評価:★★★★☆

 

 

 

はじめのほうはまたも、『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』を読んだ時のような不可思議で心地よい気持ち悪さと簡単には言葉にできない行き場のない感情のようなものは生まれず、ただただ言葉がうわ滑っていくような感触を得た。

 

あるいはもうじぶんがかつてほどには村上春樹という人物が生み出すものに惹かれてはいないのかもしれない。そうやって変遷していくこともまた、成長とかて呼べるのかもしれない。

 

とにかく、読んでいてのめりこむということがなかったことは、(短編集だからある程度は仕方ないにしても)少なからずショックなことではあった。

 

 

 

しかしそんななかで、かれ独特の文章表現の仕方をじぶんなりに学んでみようという違ったたのしみかたを見つけることになった。

次にくる言葉を予想したり、修飾語がいちいち適切かどうか、独特で面倒な言い回しはどのようなときに使われているのかをみていくのである。文章の流れかたももちろんだが、

 

 

そんなふうにみていくと、一見(賛否両論に分かれる)くどいように感じがちな形容詞の使い方もかなり論理的に使われていることがわかる。そしてなによりも、それらを読んでいるときのテンポのよさに気が付くことになる。

 

そうに楽しんでいるうちに、不思議なことにいつの間にか物語のなかにのめり込んでいるじぶんがいた。

 

 

 

特に、短編集中の最後の『女のいない男たち』(表題と同じ)では、いままでの作品中でたびたびでてきた 突然すがたを消してしまう女取り残されて途方にくれる男 という図に込められた意味というものの説明もされていてかなりすっきりした部分もあった。

 

 

 

修辞を学べたことやすっきりとした説明を加えてくれたという点で★4つ。

 

 

 

 

 

では、