インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

現状維持は緩やかな下降線

 

 

 

「自分の考えを持っているなんてすごいね!」

そうやって褒められる時期がある。

 

「自分の考えを主張できるなんてすごいね!」

そうに褒められる時期もある。

 

 

それだけ でよかった時も確かにあった。

 

 

 

だがここのところ肌でひしひしと感じているのは、もうそれだけではダメだということだ。

 

 

 

まわりが持論を掲げるようになったいま、必要とされるのは自分の意見ではなく、まわりの意見を引き出して調整していく能力なんだとおもうようになってきた。

 

 

さらに言えば、重要度が変わったばかりではなく、自分の意見や考えは口にしてはいけないときもある。という場合すらある。

 

(これを言われたときは衝撃だったが。)

 

 

 

 

自分に固執している(もはや、自分を持つ とかよりもこの表現の方が適切)人間は、「自分の意見を持つ」という段階ではすこしは有利だったかもしれない。

 

しかし、ひととの調整や、自分の意見は聞かれたときにのみ伝えるとなってくると、欠陥的に場の空気を読むことが苦手な人間にとってはとても不利になってくる。

 

 

 

 

だからと言ってこれをサボることは現状の維持に躍起になるということになってしまう。

 

自分に求められるものが変わったということは、まわりにいる人々にも同様なことが求められているということであり、

その求められる能力を身に付ける努力をしないということ(現状維持で満足すること)は、相対的にみれば、緩やかな、しかし確実な下降線をたどっているということになる。

 

 

 

現状維持ですらムズかしいのに、そのうえそれだけでは置いていかれるなんて、生きるというのはそういう意味で大変だとおもう。