『他人をほめる人、けなす人』
『他人をほめる人、けなす人』 フランチェスコ・アルベローニ (訳 大久保昭男)
人のことをほめるのが苦手だったのでなにか本を読んでみようと思い、大学の図書館の本の検索システムで適当に「ほめる」と打ったら、出てきた本。
なかなか良い本だったので、共有。
構成は、~な人。という形で、人間を様々なタイプに分けて、それぞれのタイプに対してとても深い洞察が加えられている、おもしろい出来になっている。
例えば、「自分の弱さを利用する人」、「コンセンサスをつくれる人」、「一人で道を歩める人」、「正体を見破る人」などなど。これがずっと続く感じ。
あ〜こんなひといるわ。と思ったり、
え、これおれのこと!?と思ったりするのはもちろんのこと、
こうに考えたことがあるってことはおれもこんな風に人に見られてるの...なんて発見があったり、
読んでいく中で、自分が相対化できる感じがイイ。
いくつかハッとさせられるような文もあったので少しあげておきます。
奇妙ながら、旅の真の効用は、そこで出会う異なる世界からではなく、我々のいつもの ”自分” からの離脱から生じる。肝心なのは、新しい事物に接することよりも、すべてのものを異なる目で見るのを学ぶことなのである。
こういう状態に達するためには、ふたたび子供にかえり、社会的認知に恋々とする肥大した我々の "自我” を忘れることが必要である。それゆえ、逆説的かもしれないが、旅の最も有意義な要因は、孤独なのである。
(p165 「真に旅する人」 より)
我々の行い、つくるすべての事物は、世界への入口、出迎え受け入れるために開かれた腕のようなものとして生まれる。しかし、これとても、はてしなく繰り返されれば、空虚な儀式と化する。(中略)
そうだからこそ、我々は周期的に危機に陥ることが必要なのである。ときにそれは何かの失敗の帰結のこともあり、あまりに長い間なおざりにされた現実が我々の慣習に加える痛撃の結果であることもある。しかし、別の時には、自身が硬直化し、あたかも死んだかのようになっていることに我々が気づいたために、危機が我々の内部で成熟するときもある。(中略)
危機は、再生と再建の作業の、否定的な形で現れる開始信号である。
(p198,199 「危機を受け入れる人」 より)
断っておかなければならないが、誰しも、誤って、あるいは浅はかさから、自分の真の内心からの使命に反する、誤った道を選ぶということはありうる。しかし、その後すぐに、疑念にとらわれ、それに気づき、自分の誤りを正すものである。決定的な時点においては、しかじかの選択が重大な結果を招くだろうことを我々は知っている。(中略)実際には、譲歩・屈服していることも知っている。より容易で好都合であるためにその道を選んでいることも。あるいは、野心、渇望、ご都合主義のために。初めは、そのことを自覚しているが、やがてそれのとりことなり、そこから離脱できなくなる。
(中略)一方に善があり、他方に悪があるというふうではない。ともに善であり、ともに重要と思える二つのものの二者択一であるのが常である。我々が自由な精神を持ち、自分自身に対して本当に誠実である場合のみ、最も真実で正しいと思うものをつかみとる力を持つことができよう。
(p232,233 「自分の過ちに気づく人」 より)
このひと、著名な社会学者らしい。
やっぱいいなー