インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

週刊 持論 -生活のこだわり-

毎週土曜日に更新する 週間 持論 



信念、とは言えなくても、自分にもひとつやふたつのこだわりがある。

どうしてもいつも意識していて、おいそれと譲ることはできないもの、それがこだわり。

 

今回書こうとおもうそれは、優先順位についてである。

 

自分は、どんな些細なこと、またはどんな小さな時間にも優先順位をつけるように心がけている。というか、勝手に頭で考えてしまっている。

 

 

 

 

 

忙しそうで飲み会に誘いにくいと言われるときがあれば、サッカーばかりしていてヒマなんですか、と言われるときもある。

 

どちらも違う。

 

自分にとって、この時間はこれをするための時間なんだと、決まっているだけのはなしなんだとおもう。

忙しい、とかヒマだ、というのは、本人が感じるべきことであって、忙しそう、とかヒマそうとか言った周りの目線というのは、本来どうでもいいものである。

 

 

 

 

 

 

優先順位を決めるときには心がけていることが一つだけある。

 

まずは大枠の時の流れから決めていくのだ。

何月から何月までは主にこいつに時間を割く。これは二番目くらいにちからを入れて、こいつは二の次、これなんかはあとまわしだな。という風な感じで。

 

 

一度それを決めてしまえば、あとは週ごと、日ごとに予定を組んでいくだけ。

 

遊びの予定も、勉強の予定も、はたまた飲み会の予定も、その優先順位に合わないのならきっぱりと断る、または諦めることができる。

 

バイトをあまりしなくてすねかじっているのも、実家にいればほとんど餓死する可能性が低いので、どうしても金稼ぎの優先順位が低くなってしまうためだとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

こういうふうに書いているとどうしても、ちゃんとあそんでいるのか、みたいなはなしになってくる。(ちゃんとあそぶ という表現もよくわからないけど。)

あそび の優先順位は常にそれほど高くはないけど、定期的にものすごくそれの優先順位が高い日を設定する。

 

ぼーとしたり、ごろごろしたりするのも同じ。むやみやたらに時間を浪費はしないようにしてる。

もしぼーとするなら、それは自分が自分のためにつくった、ぼーとするための時間であり、その時間中はなににもまして、ぼーとすることが優先される時間なのだ。

 

 

 

 

 

 

冒頭にも書いた通り、なにも意識的にこういう風に考えているのではなく、なんとなく、常にこの優先順位が頭に浮かんできてしまうのだ。

 

 

 

だけど、たいてい心を動かすようなことってのは、こういうすべての優先順位をどうでもよくさせて、おれの中の秩序をめちゃくちゃにするくらいのもの。

 

そんなときは、優先順位とかどうでもよくなる。

もしくは言い換えるなら、気が付いたら優先順位を破棄しているような物事こそ、ほんとうには大事なものなのかもしれない。

 

 

そう、たとえばとかね。