インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

吉田松陰は死んだのか

大河ドラマ「花燃ゆ」では、

次回(17回)で吉田松陰が死ぬ。

 

この、吉田松陰というひと、

こんなこと言ったらドヤされそうだけど、

大したことないんじゃないかとおもう。

 

特になにかで調べたわけでもなく、

「花燃ゆ」を観ただけでこう言っているわけだけど。

 

 

 

 

なんとなくこれまでは、

吉田松陰って、黒船に乗り込んでいった人物であり、

松下村塾を立ち上げて

倒幕と明治維新の中心人物をたくさん育て上げた

めちゃくちゃすごいひとってイメージだった。

 

 

だけど、ドラマを観ていると(実際のことがどうだかなんて知らない。)

 

黒船には無計画で乗り込み弟子を死なす。

松下村塾」というのは元じいさんかだれかがやっていた塾の名で、

そもそも「塾」を発案したのも妹。

「老中を斬る!」と言いながら、その発言がもとでなにもできずに拘束される。

小田村(後の初の群馬県令)や塾生に、

「いまは時期じゃない」となんども諭される。

周りのいうことを聞かなすぎて、最終的には塾生にも呆れられる。

「志を成さずして死ねるか!」と言いながら、

ほとんどなにも「成さず」に死ぬ。

 

松下村塾もほんの数年の間しかやっておらず、

松蔭が存命中は革命らしい革命は起こらず、

形として、なにか残したものはないのではないのかと思うほど。

客観的に見れば、大したことはないのだ。

 

 

 

確かに秀才であり、行動力に満ち満ちており、

その発する言葉には魂がこもっていてひとを惹き付けるカリスマ性があったりしたかもしれない。

 

しかしそれは、あくまで主観的なものであって、

なにかを「成した」確固たる経歴なしに、

この幕末の世の中に名をはぜ、

未だに「松下村塾」の言葉が祭り上げられる理由にはほど遠いはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

ではなぜ、この現代においても

松下村塾」の名が行き渡り、「松陰先生」と呼ばれ続けるのか。

 

 

それは、愚直なまでに自分の信ずる道を真に貫いた、その生き方ではないか。

 

 

つまり、松蔭がなにをしたのかなにを言ったのか、

なんてことは本当はどうでもいいのだ。

 

 松下村塾だってどうでもいい。

黒船に乗り込んだのだってどうでもいい。

幕末の志士を育て上げたのもどうでもいい。

 

 

大事なのは、その初めから終わりまで「自分」を貫徹させる生き方であり、

周りのひと、ひいては現代の私たちまでもが、

その生き方に、勝手に心動かされているだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ではなぜ心動かされるのか。

 

それは、そんな生き方がふつうはできないからだ。

ふつうはできないから、それをしている松蔭を尊敬するしその様に生きたいとおもう。

 しかし結局それはできないから、さいごは松蔭から離れていく。

 

もっともっとうまく生きる方法を、わたしたちを含め、江戸時代のふつうのひとも知っているから、

松蔭に必死に忠告する。

「わかるけど、それはいまやることではない。」と

そして松蔭は応える。「違う!いまだ!いまなんだ!」と。

 

それが「いま」ではないことはわかっているからなにも「できない」けど、

松蔭はそれが「いま」だと「信じている」からなにかを「する」。

 

 

それが正解か失敗かなんて問題ではない。

なにかをして、結果が出たか出ないかは問題ではない。

 

問題は「いま」このときになにをしたのか。

本能のままに動いたのか。

ではないのかとおもう。

 

 

もっと言えば、

松蔭がヒーローになっているのも、

結果的に運がよかっただけかもしれない。

(頭が良かったから必然ともとれるが。)

 

松下村塾久坂玄瑞高杉晋作前原一誠らが集まったのは奇跡かもしれない。

彼らがなにかを成したことも、

さらには倒幕がうまくいって明治政府が立ち上がったのも、

たまたまかもしれない。

 

 

もしそうなっていなかったらどうであろうか。

 

 

久坂や高杉は倒幕派として名を残しただろう。

しかし松蔭はどうか。

なにも「成してはいない」松蔭はいまの世に知られていたか。

 

歴史に「もしも」はないけれど、

松蔭がここまで名を広めるのは、

一重になにをしたかではなく、

その生き様であることは間違いないとおもう。

 

 

 

 

誰もができないその生き方を通して、

無意識に周りのひとを勇気づけ、それが伝播する。

自分とは関係のないところで広がったその勇気が、

自分ができなかったことを成してくれる。

 

1ではなにもできないけれど、

その1が生まれてきたおかげで、

1を貫いたおかげで、

100にも1000にもなる。

 

それがいまの自分たちにまで影響を及ぼしているというのなら、

それほどすごいことはない。

 

 

吉田松陰は、到底及ばない大したひとだと言える。

 

 

 

 

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就職活動で、自己分析シートの提出が求められている。

0歳から現在までの遍歴を記し、それに士気の上り下がりを加えるものだ。

 

自分はいままでどんな生き方をしてきたのか。

これからどんな生き方をしていくのか。

 

それらを一貫させることはムズカしい。

 

だけど、自分が真剣に、ウソなく生きることで誰かを動かせるなら、

それはちょうカッコいい。

 

 

 

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至誠にして動かざる者は

未だこれ有らざるなり