喜びの連鎖、悲しみの連鎖
どこで観たか。学校でくらいしか観ない気もするけど。
『ペイ・フォワード』という映画がある。
受けた恩は3人の別のひとに返す、恩送りのおはなしだ。
「情けは人の為ならず」という言葉もある。
他人にかけた情けは廻り回って自分に返ってくるという意味だ。
両者の意味は違うけれど、共通している事もある。
正の感情は連鎖していって、やがては自分のもとに返ってくるということ。
一方、おなじように負の感情も連鎖する。
いじめられっこやいじられっこが、
さらに下に見られているいじめられっこやいじられっこに、
自分がされたのと同じ事を、あるいはもっと残虐な方法で行う様に、
誰かが傷ついたとき、そのひとは大抵、同じような方法で別のひとを傷つける。
また、目の前のひとを攻撃するときに、
自分もその攻撃の対象になってしまっていることを「ブーメラン」と言ったりもする。
イライラしているときに、無関係なひとに当たってしまう事もある。
つまり、誰かを傷つけてしまうとき、それは同時に自分のことも傷つける。
逆に、自分が「傷ついた」とおもったときは、相手も傷ついているし、
また自分もその後、他のひとを傷つける。
「攻撃」はいつだって一方的なものはなく、諸刃の剣だし、それが止む事もない。
さらにもう一つ、
持論として、定期的な運気の浮き沈みを考えている。
景気曲線のように、良かったり悪かったりする時期は波としてやってくる。
だから次が予測出来るという事でもあるし、そこからは逃げられないという意味でもあるわけだが。
この曲線、
どうしてできるのか、どうしたらできるだけ良い状態を維持したり、大事な時期に良い状態に持っていけるのか、
これらが喜びと悲しみの連鎖に関わってくる。
つまり、自分が投げた喜びと悲しみが、どのタイミングで返ってくるかで運気の曲線の形成に影響を及ぼすということ。
具体的には、ひとに正の感情を与えられている運気上昇の時期に傲慢になれば、
その分の負の感情は、のちに長い下落として襲ってくるし、
逆に自分が傷つけられる時期に、他人に極力をそれを廻さずに正を発信できれば、
次の上昇は長く続く。
そうやって、すべて自分の発した感情や行動で、すべて自分の人生は決まる。
でも、いい時に調子に乗らない事は難しいし、悪いときにそれを抱え込む事も難しい。
だから、連鎖は止まらない。
神様がいるなら、正のみを世に出して、負を受け止め飲み込んでくれて、
できるだけいい連鎖ができるようにするべきだとおもう。