インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

脳内会議  〜 ”日本の『おもてなし』” について思うこと〜

異国の地にいても

月に一度はレポートを送り、たまに何かのお題でメールを交換する。

 

いちおうそういうゼミの活動をしている中でこの前

海外に居る身として、日本の『おもてなし』についてはどう思うか

という質問を受けた。

 

自分自身、最近よくそれについて考えていたこともあって

それには長たらしくことを返させてもらった。

その思考を整理するためにちゃんと書いておきたいと思う。

 

ちなみにここさいきんの脳内会議のお題は

「『おもてなし』について」と

「平凡について」と

「働くということについて」ばかり

 

 

 

 

まず、こうやって言葉にして記すのにあたって

「おもてなし」の意味を電子辞書に入っている広辞苑で調べてみたら、

出てきませんでした

 

「おもてなし」で出てこなかったので、接頭語の お を取って

もてなし」で調べてみたら

①とりなし。とりつくろい。 ②ふるまい。 ③待遇  ④馳走

と出てきました。

 

まあ④は古語なので無視するとして、

相手に対する態度とそこから出る行動的ななにか

みたいな意味で良い気がします。

 

なんとなくイメージ通り。

 

きっと お がつくからその丁寧なやつみたいな解釈で

おおきく間違えているということはないと思います。

 

 

 

次に、「おもてなし」という言葉が使われるような状況を

てきとうに思い浮かべてみます。

 

するとだいたい、『「おもてなし」の心』とか『心から「おもてなし」をしなさい』とか

そんな感じのことがポツポツと浮かんできました。

 

 

だから、「おもてなし」ってなんだか目に見える行動的ななにかよりもむしろ

精神的な目に見えないなにかを大切にしているのかな

と思いました。

 

 

 

ここまでで自分なりの「おもてなし」というものが出来上がってきたので

質問に対して答えていくことにしました。

というか脳内会議では、

なんとなくモヤモヤとしていたものに取り組んでいくことにしました。

 

 

 

 

日本からの海外渡航者が増え始めてからか

日本が観光立国を目指し始めてからか、

はたまた滝川さんが2020年のオリンピックのすばらしい招致スピーチの中で使ったからかはわかりませんが

ここさいきん確かに、「おもてなし」という言葉をよく聞くようにはなった気がします。

 

 

そのような中で自分が抱えていたモヤモヤとは、

 

果たして日本の「おもてなし」は世界に誇れることなのか

 

言葉にするとこんな感じのことでした。

 

 

 

このようなことがのどの奥に引っかかるように気になり始めたのは、

状況的に海外での「おもてなし」を受ける機会が多かったからだと思っています。

 

 

 例えば、すごく印象的なのが知らない土地でひとに道を訪ねた時の対応です。

 

ホテルでもお土産屋さんでも一軒のぞいてみてちょっと違うなと思ったら他に行きます。

その時に、「もっと安いところある」とか「これが売っているところある」ということを聞くと

懇切丁寧に自分とは違うお店の情報をくれたりします。

 

行きたいお店やギャラリーの場所を聞いたときなどは

わざわざパソコンをひらいてGooglemapを印刷してくれる時なんかもあります。

 

 

個人的な脳内会議なのでもちろん個人的な経験しか入っていないわけですが

訪れた国々で経験するこのようなことを日本では見たことはありません。

 

そして、ここが重要なのですが

このような些細な行為にこそ「おもてなし」は宿っているんじゃないかと思うし、

一般的に想像される精神的な「おもてなし」というのはこのような、

気持ちが先にありきの行為のことを指すんじゃないかと思うんです。

 

 

 

では、日本はなぜ「おもてなし」をアピールしたり

評価されている(と思っている)のでしょうか。

 

 

 

これはひとえに、とても簡単に、サービスが良いからなのでしょう。

 

単にサービス業における接客などの対お客様の業務についている方々の行動が

世界的に見てレベルが高いから便宜的にそれを「おもてなし」と呼んでいるのに

過ぎないんだろうなと考えています。

 

そのサービス業についても、

日本人ならではの細やかさという曖昧なものではなく

マニュアルといった至極現実的なものが存在しているわけですよね。

 

つまりそこには精神的なものはそれほど介在していないんじゃないかなって思っています。

 

 

 

例えば、自分がいま住んでいるのはドイツ南西、どちらかというとフランスに近い街、

ルードヴィフィスハーフェンというところです。

 

この街は、はなしによるとドイツ国内の中で最もトルコ人移民が多いそうで

その影響からか、トルコの郷土料理ケバブのお店がやたらとたくさんあります。

 

10歩ほど歩いたら必ず一軒は見つけられる勢いです。

 

 

ここまでケバブ屋さんが多いと、

いくらどちらかというと友好的に商売をやっているように見えるとは言え、

質の競争や淘汰というものは出てくるはなしでしょう。

 

それはもう自然の成り行きで。

 

 

日本における「おもてなし」の高度化、サービスの良質化というのも

単にこれだけの話ではないかと思います。

 

日本ではそれほど量も多くなくて質も高くないケバブがそこそこの値段売られていますがそれは、

単にケバブの需要や供給が少ないからであって

ケバブ屋さんの質をそこの人々がそれほどには求めていないということの現れです。

当たり前ですが

 

 

 

だからモヤモヤを言葉にして言いたかったのはこういうことです。

 

日本の「おもてなし」はただの良質なサービスで、

それ自体は確かに誇れることであることに間違いはないが、

それは単に日本国民が求めて出来上がったモノである。

 

よって一般的に「おもてなし」という言葉から連想されるもの自体に関して言えば、

それはなにも特別日本がすごいというわけではなく

世界中の国々のひとが普遍的に持っているものである。

 

だから、日本人が自国の文化に若干ニュアンスの違った言葉をつけて積極的に宣伝するのはあんまりよくないんじゃないかなと感じています。

国をあげてやる場合はある程度致し方ないところはあるにしても、企業やホテルが自分のサービスの宣伝のために「おもてなし」という言葉を使うのはあまりセンスが宜しくないように感じる。ということです。

 

 

 まあそれだけ!