インコプフ

自己承認欲求と作文欲求の結晶

じぶんが、右利きにも関わらず時計を右手につける、たった一つの理由

 

 

 

こんばんは。

 

きょうもネタがなくて、どうしよっかなーておもってたところ、リクエストがあったのでそれを書くことにしました。

 

 

『右手に時計をつける理由でブログ書いて。』

 

 

 

 

じぶんが初めて時計をつけたのは、いまでも忘れません、高校三年生の春頃のことでした。

 

 

じぶんは中高一貫校に通っていたのですが、当時、恋人同士で交換したりプレゼントし合ったりして時計を身につけているひとたちがたくさんいました。いわば中高生の世界の中で、時計はそれを付けているひと自身のステータスシンボル的なものになっていたわけです。

 

そんななかでじぶんで買うわけにはいかない。じぶんも恋人をつくってプレゼントをもらうんだ。という信念を心に抱いていた少年は、結果的にはまわりと比べて時計を付けるのが遅くなってしまったのです。

 

 

高校三年の春頃というのは、受験勉強に本格的に精を出し始めた時期であり、また同時に夢見心地なじぶんに折り合いをつけて現実へと一歩を踏み出した時期でもありました。

そうです、この瞬間にじぶんにとって時計というのは、与えられるのを待つのはやめよう。じぶんらしく生きていけばいいんだ。という想いの象徴のようなものになったのです。

 

 

 

さて、そんな経緯で時計を手にしたじぶん、ふと周りを見渡すと左手に付けている輩ばかりではないですか。

 

そのときのじぶんの目には、たくさんの、左手についた女々しいステータスシンボルが映っていたのだとおもいます。そうなれば当然、確固たる意義を持ったじぶんの時計は右手につけざるを得ないでしょう。

 

 

以上が、じぶんが時計を右手につけるたった一つの理由です。

 

 

 

 

なにせ右利きなものですから、あらゆる場面で時計は外します。

 たしかに少数派だしめんどうな右手時計ですが、これからも初心を忘れずにつけていきたいとおもっています。

 

 

 

 

 

*ドイツにいたときは、右手につけるとゲイという意味だよ。と言われたことがあったのでやめていました。